「0次印象」美意識を持つことは、他人に見えないところで磨くこと。帽子について


第一印象は、公の場でよそ行きの自分として意識することはあるでしょう。

しかし、昨今は「多様性」という言葉の乱用から、何でも受け入れて良いという

風潮になっていると感じます。


受け入れる自由もあれば、嫌だという自由もあって良いのが本来の多様性。

ならばということで、日頃の「素の自分」=「0次印象」を、見直し、

改まらなくても、日頃の見えない自分を鍛えることで、わざわざ第一印象を

アップさせる努力をしていなくても、すでにアップしている状態を作られる

利点を少しずつ、ご紹介します。


目次

きちんとすることは、今更ではない。

家から一歩出たらそこはオフィシャルな場です。しかし、昨今は家の中で、

全て解決することができる世の中になりました。

それが当たり前の世の中になってきているため、家時間の延長のような錯覚に

陥ります。家の延長線のようなビジネスシーンや公共の場。

それが心地よいときもありますが、全てがプライベートという訳にはいきません。

「そもそも区別する必要があるのか?」という思いはもたげてくるものの、

一歩外に出たら、周りは赤の他人です。

自分が良くても、人はどう思うかは別です。家時間のようにはいきません。

どこでオフィシャルとプライベートの境界線をつけると、

自分にとって心地よい状態になるでしょうか?

人は口に出さないけれど、相手の値踏みをしています。

家族や仲の良い友達は別として、オフィシャルの場では何らかの期待値を持って

相手と交わっています。

その期待値が、「残念なくくり」に入らないことが大切です。

一度「残念なくくり」に入ると、抜け出すことは非常に難しいものです。

人の感情や気持ちはコントロールできないからです。

つまり、リアルでのコミュニカーションができる人かどうかで、

社会の中での自分が形成されていきます。

このリアルでのコミュニケーションができる人はどのように

判断されるでしょうか。

それは「この人はきちんとしている」「マナーを知っている」と

結果的に思われることだと思います。

きちんと見られなくていいなら、社会生活は厳しい試練の道

例えば、昨今は帽子を室内でかぶる方も多くなってきました。

しかし、マナーとして考えると、帽子を室内でかぶるのは、

やはり現代の世の中でも一定以上嫌悪感を抱く人がいるものです。

特にマナーに関してうるさいヨーロッパでは嫌がられます。

「それでも構わない」と許される風潮が日本にあるのも本当です。



日本では、「それって絶対ですか?」「決まりなのでしょうか?」という方もいますが、

そもそもルールとマナーの区別ができていない発言を平気でできる時点で、

その人との距離を取ったほうが良いかもしれませんね。

ましてや、50代過ぎてからそれを当然のごとく、口にしていたとしたら、

残念な部類に入りますし、教養を疑われるのも時間の問題・・・

もちろん本人は知る余地もありませんが。

ファッション業界などにおいては、見せるコーディネートとして、

あるいは商品紹介としてかぶることもあります。制服の一部として

帽子を身につけることもありでしょう。

しかし、あなたのプライベートの行動範囲の中で、商品や制服として

帽子をかぶることはあるでしょうか。

それはまずないと思います!


繰り返しになりますが、室内でも帽子を被ることを平気な人もいたら、

嫌だと思うこと人も一定数以上います。室内で帽子をかぶるのは、

マナー違反であることを覚えておく必要はあるでしょう。

(※もちろん、身体的に理由があって帽子を被らざるを得ない人もいます。

その場合に強制して脱ぎなさいと言っている訳ではありません。)

マナーとはそもそも相手の立場をおもんばかって行動することが根底にあります。

自分の行動で相手を不快にさせることもあるかもしれないと思う想像力や、

配慮ある立ち居振る舞いをしてこそ、0次印象がアップされてきます。




帽子に関してのマナー

室内での帽子の着脱に関しては、ヨーロッパでのマナーが基本となり、明治時代に帽子が日本にも輸入され、マナーとして挨拶時や室内では着脱することも継承されていきました。

ヨーロッパでは、中世や近代の男性は必ず室内に入る時は帽子を着脱するのが礼儀でした。なぜなら、帽子は元々コートと同じような扱いで、日除けや埃をさえぎる役目のものです。


野外では必要なものですが、室内では不要です。コートも室内で脱ぐように、帽子も脱ぐと位置づけられています。工事現場や工場などで働く労働者の方でも、ランチをとるときは皆さん帽子を脱いでいましたね。昔の映画のシーンで、労働者の皆さんが、帽子を脱いでお昼を
食べるシーンを思い出します。


現代の日本に話を戻しますが、レストランなど食事中には、よっぽどの理由がない限り脱ぐのが正式なマナー
とされています。被っていたところで、注意しないレストランももちろん多くあります。


現代の人は、他者に関してあまり注意することがなくなりました。トラブルを嫌うからでしょうね。
よって中には着脱そのものをしなくても、OKとしているところが増えてきました。
しかし格式のあるレストラン、目上の人との食事、冠婚葬祭などの場ではクロークに預けた方が良いでしょう。

学校の授業でも、帽子を被ったまま受講している学生もいますが、本来はマナー違反です。私が働いている大学でも注意する教授が(小中高の先生は注意すると思います)少なくなってきました。


「マナー違反はなぜか?」という理由づけをして脱がせること事態、「ばかばかしい」と思っているところもあるようです。授業時間を省いてまで、注視する事でもないと考えられているようですね。しかし、私が授業をするときは、必ず注意し、身体的理由がない限り脱いでもらっています。マナーの基礎を知って欲しいからです。

現代の日本ではかなり帽子に関して曖昧なマナーになってきました。しかしたとえ室内で着脱しなくても良しとしているところでも、ツバの広い帽子など、それを身につけていることで、周りの人の視界をさえぎることのないように配慮したいものです。

また、「いい歳して・・・」と呼ばれる年齢で、若い方と同じ立ち居振る舞いは、やはりしない方がいいでしょう。

一つの礼として、今回は、帽子の話をさせていただきましたが、形から入ることを毛嫌いしない方が、

最終的には、物事はスムーズにいくものです。ほんの少しの形の違いも、何年も続けると大きな違いに

なります。それは相手に違和感を与え、信頼を損なう根源となるでしょう。帽子はあくまでも一例に過ぎません。

同じことは、コートやカバンも同じです。お高い鞄を持っていているがために、床に置けないようでは、

本来そのような高額の鞄を持つ、「資質にあらず」「ただの成金」とも言えるでしょう。


マナーをご存知で、高額の物をお求めになれる方は、そもそも専用のお付きの方が

いらして、床に置かずに、その方が外で待っていてくれるでしょうね。




コートも、着たまま室内に入るのも同じ理由ですので、建物に入るときには、

脱いで入りたいと思います。

きちんとした形を尊重できる人は、心も整い、人から尊重され、信頼を持って

もらえるでしょう。